アラカンオンダイセイ

音大生になったのは良いけども。

音楽歴は長いけれども

5歳の頃だったと思う

親に連れられてヤマハ音楽教室に通っていた

当時から初見が早く、あっという間にテキストの楽譜を弾いていた

なんか楽しかったんだよね

その後、家の近くのピアノ教室へ行くことになるんだけど

その先生が怖かったな

先生曰く、お宅のお子さんはピアノには向いていませんっ!

と、目の前で言われたよ

今の時代、そんなこと言おうものなら大変だわ(-_-;)

先生様さま、そんな頃でしたね

それでも、ソナチネまでは教わったんじゃなかったかな

その次に習ったのは、バイト音大生

3か月くらいで先生が変わるもんだから、途中で嫌になった

その頃、中学生くらいだったかな

結局、その辺りで行かなくなった

 

今は、ネットを観ればどんな曲も聴けるよね

当時はそんなものはありませんから

FM雑誌をチェックして、自分が持っている楽譜の曲のオンエアを

カセットテープに録音し、それを聴き、弾くという荒業をしていた

もうちょっと真面目にやっていたら

もっと上手くなっていたのではなかろうか、などと思う

 

時進み、24歳 某大手企業で働いていたころ

何を血迷ったか、エレクトーンを始める

まったくわからん楽器

でも、とても興味をそそられた

指導者グレードが取りたいと思い通うわけだが

そこで出会った先生はかなりのスパルタ

おかげで1年半でエレクトーングレード5級に合格

4級も少しやっていたけど、先生が辞められてしまったことや

自分も結婚して環境変わってそこで断念

 

出産後、31歳 長女2歳のとき

指導グレードはやはり取りたい、と独学で始めた

楽典、聴音なんかは1回で合格点だったのだが

ピアノ実技は不合格点

で、ヤマハにまたお世話になることに

そこで出会った先生が恩師となるのだが

次の試験でなんとか合格したい自分は

2台持っていたエレクトーンの内、HS-8を手放し

クラビノーバに買い替え、

先生の丁寧なご指導もあり、なんとか合格したのである

 

長女はおとなしい子だったこともあって、練習することもできたけど

子育てしながら、とか 仕事しながら、とか

よくやったな、と思う(笑)

大学に行っていない劣等感、投げ出してきた無責任さ

そんなことが奮い立たせていたんだろうな

 

ってことで、とりあえず、ヤマハの指導者レベルには何とか合格している

 

さて、音大

この若かった頃から、約30年経ってしまったわけで

耳も悪くなってれば、指も回らない

楽典もすっかり忘れており、基礎力がまるでない

担当した先生には、グレード返上だわね、と言われる始末

まぁ、そうでしょ、出来ないもん

出来ないついでに、和声のクラス

何で上のクラスなんでしょうか

半分も理解してないのに

前期終わって後期は下のクラスだろうと思っていたら

まあ、また上のクラスですよ、点数52点しか取れてないのにさ

 

上のクラスで、若者にもまれながらやっていくか

下のクラスで、同年代仲間とやっていくか

そりゃ、ワイワイやっていきたいですよ

でもさ、頑張れば何とかなるのかな

と、いうことで、

和声-理論と実習-の回答も買いました

高っ💦 6600円

 

和声だけでどんだけ書籍買ったかな

でもさ、ピアノもあんまり上手くない

才能のなさを感じ、へたれる日々です

 

だけど、思うに。

教え方もあるよなぁ…

わかるように教えてくれっ!!